[日々のこと]グチに注意

今日の日記は完璧、グチですので、スルーしてくださいませ。

気が済んだら消去します。


父が定年退職してからというものの、ストレスメーターがハイスコアのまま。


ただ、自分でも何故かわからないままだったのです。

父は、掃除はするし、洗濯はするし、庭の草むしりも足りないながらもやってくれるし、パートタイムながら再就職して稼いでるし。

友達にも「何でイヤなのかがわかんない…」と言われるほど。



でも、今日、その謎が解けました。



今朝のこと。

「花まるマーケット」で秋刀魚の焼き方が紹介されてました。
秋刀魚にまんべんなく塩を振る → 水分が出たらふき取る → 秋刀魚の尻尾をアルミホイルで包む → フライパンに入れる → 出てくる油は全てふき取る
というもの。


はっきり言って、そんなの出来るのは専業主婦だけだ。

私は昼はずっと働いてるし、急いで帰っても家に着くのは5時半過ぎ。
用事があるときは6時半を過ぎる。

下ごしらえの時間を考えれば、友達と少しだけ話して帰るということも出来ないし、夕方は自分の時間を削って食事の用意をする毎日だ。


「こんなことしてる時間はないよ! 同時進行で他の料理を作ることも出来ないじゃん!!」
という私に

父は「いや、こうするべきだ」


というのです。



では、そうしたい人間がすれば良い。


ということで、「じゃあ、秋刀魚を焼くのは任せた。今日の食事は秋刀魚ね」
と私。


すると、父は「今日はパソコン教室の日だから」と言うではないですか。


それじゃしょうがないな、ということで、今日の買い物のときには
遅くなる父のために、温めても美味しく食べられる料理を考え、他の日の分のメニューも考えて組み立てて買い物をしたのです。



で、私が家に帰って料理をしだしても、全然、パソコン教室に行く様子がない。

「パソコン教室は?」と訊く私に


それはもう普通に
当たり前であるかのように
ビールを飲みながら

「あぁ、アレは朝の10時からだった」


というのです。



この件で、何が怒りの琴線に触れたかというと、私に「パソコン教室がある」と言った時間は9時過ぎで、もし10時からだったのなら、確実にその時間にはわかっていたということ。


つまり、ウソをついたということで。


さらに、それは確実に数時間後にはばれてしまうウソで。


きっと、彼の中では夕食を作るのは自分の仕事ではない、となっていたのだろうが。



一番、許せないのは『ウソをついたことを許してもらえると、当たり前に思っていること』



父はそういうところがある人で、なんでも「冗談だよ〜」と言えば許されると思い込んでいる。


でも、世の中には、その一言で心の底から傷つく人間がいる、ということを何度言ってもわかってくれない。


その一言で、どれだけ献立を一生懸命考えたか。
その一言で、一口でもご飯を食べさせて送り出そうと、どれだけ頑張って早く帰ってきたか。
自分の努力が全くの無になる、という状況に私がどれだけ辛い思いをしたか。



あぁ、私がイヤだったのは、そこだったんだ。
父には私の気持ちがわからない。
私が何を考えているかなど、自分には関係ないと無意識のうちに切り捨てている。


今までは、自分が父のどこがイヤなのかわからなかったから時間の経過と共に許すことが出来たが、今回はどうも許せそうにない。
きっと、父が死ぬまで、この気持ちは心の底にとどまり続けるのだ。
そして、父が死んだときに後悔するのだろう。
私こそが父の心に寄り添えば良かったのだ、と。