[日々のこと]100円玉に愛をこめて

「100円玉に愛をこめて」という番組があってました。

タイトル通りに『100円で世界の貧しい人を救おう』という番組だったのですが、こういう番組を見るたびに、心の中に澱が溜まるような気がします。


考えてることは、良いことなんです。
それは間違いない。


でも、手段が間違ってる気がするのです。


これまでも貧困の問題というのは、いつの時代だってありました。
それは間違っていることかもしれません。


日本の家庭なら、家のどこかに100円玉が転がっていて、それがなくても食べていける家庭ばかりだと思います。
豊かな国に住んでる私たちが、その100円で貧しい人たちを助けるというのは、正しい。


アフリカに行って井戸を掘る。
人身売買の危険が迫る女の子に生きていくためのパンを買ってあげる。
元少年兵に教科書を買ってあげる。


どれもこれも、わかりやすい助け方です。


例え、井戸を掘ってしまったことで、地下水脈が枯渇し、上流の水源すらなくなってしまっても。
10日分のパンを番組から施されたことで、人から物を貰うことに慣れてしまっても。
日本人から物を貰ったことで、ゲリラに見つかるかもしれない恐怖と戦うことになっても。



遠い日本の私たちは「かわいそうな子を助けた」という自己満足に浸ったまま。



そんなことをするくらいなら、クーラーを消したり、レジ袋を断ったり、出来るだけエネルギーを使わない生活をして、彼らと彼らの子供が生きていける地球を作るべきではないでしょうか。


番組を見ている人の中で何人が、2時間の番組の中でたった2回しか言われなかった「地球温暖化のため、水がなくなっているのです」という言葉を覚えているのでしょうか?



こういう番組を作る方たちには、悲惨な世界を見せた後には、ちゃんと『どうすれば根本的に世界を良く出来るのか』を伝えてほしいのです。

ただの自己満足ではない、本当の善意を感じたいと思うから。